来たるべき写真家 中平卓馬 ネット記事まとめ

中平卓馬さんという写真家ほど、写真を生涯問い続けた人は恐らくほとんどいないでしょう。

今なお、むしろデジタル化して技術に甘えることが出来なくなっていく写真業界でもなお、鮮烈に問うその写真は「世界」を無視した私感情と欺瞞に満ちた嘘塗れの「写真」とは対極です。

そんな中平卓馬さんですが、最初は写真家ではなく、『現代の眼』という雑誌の編集者で、ある時に東松照明、森山大道といった人たちと親交を深めて、1968年、高梨豊、岡田隆彦、多木浩二らと共に、写真同人誌「Provoke」創刊して、当時の既存の写真表現には無かった「アレ、ブレ、ボケ」で当時の写真業界を揺るがせました。1970年発表の写真集『来たるべき言葉のために』は日本の写真のマイルストーンとも呼ばれている名作です。



ところが、1973年発表の『なぜ、植物図鑑か』では一転して「アレ、ブレ、ボケ」の作風を否定し、撮り手の情緒を排したカタログ写真や図鑑の写真のような写真を目指しました。

その後、睡眠剤の乱用やアルコール中毒の影響か、昏倒の後に記憶障害を抱えてしまいますが、『アサヒカメラ』に「沖縄-写真原点I」を掲載して再起を果たします。

その後は、「新たなる凝視」「ADIEU A X(アデュウ ア エックス)」『hysteric Six NAKAHIRA Takuma』など、記憶障害を負う以前から掲げていた「植物図鑑」へ邁進しつつ、2003年に発表した「中平卓馬 Documentary」では独自の縦構図にカラーフィルムという独自の世界観に到達しました。その影響は大きく、ホンマタカシさんなど多くの写真家に影響を与えています。

 

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長者ヶ崎_photos_2009.11.08

タバコはマッチで吸う。
ファミレス大好き。
階段は2・3段飛ばし。
デニムのYシャツに赤のジャンパーと赤の帽子。

 

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Post #1613 さらば、中平卓馬
うすっぺなら写真が横行横溢する現在、中平卓馬の存在こそは、写真とはなにか、写真家とは何かという課題を、写真のあるべき姿とは何かという、重たい問いかけを、常に突き付けてきていたはずだ。

 

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中平卓馬 展
今回の展示では、横浜を中心に撮影したという。中平が撮影した植物や滝、横たわる老人や、タヌキの置き物など様々な対象を見るとき、彼の衒いのないまなざしを感じることができる。記憶のなかに沈む言葉とイメージを結び付けること、ただ今あることをそのままにうつし撮ること。その両極を行き来した作者の今の息遣いが感じられた。現実の世界にあって、これほどの誠実さをもって生きているということのシンプルさが色鮮やかに心に残る。

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追悼 中平卓馬殿
数年前に入った施設の規則で、カメラの携帯を許されない環境になり、やがて入院。久しくお目にかかることもかなわないままでしたが、最後の数年はさぞ無念だったと思います。

 

中平卓馬さんとナポリタン
http://chotoku.cocolog-nifty.com/blog/2013/03/post-7a4c.html
自由が丘のギャラリーで吉村朗の個展で、中平さんに会った。もう記憶をなくされた後の話である。
吉村の話では毎日、そのギャラリーに中平さんは訪ねてきて、自己紹介の後、しばらく話をした。近所の喫茶店にナポリタンかなにか食べに行くという話であった。そうしてキヤノンF1に100mm付のレンズで中平さんは町を撮影するのである。

中平卓馬、私の前ではいつも笑っていた。
http://s.webry.info/sp/06581240.at.webry.info/201509/article_1.html
卓馬とは一時「義兄の嫁の弟」という関係で外語時代によく友人を連れて遊びに来ていた。離婚してからはだれも来なくなったが卓馬は相変わらずひょいと顔を出してはおしゃべりして帰って行った。彼が「現代の眼」でグラビア担当になり、カメラに誰を使おうか?と聞かれた時、まっさきに東松照明の名をあげ紹介したのが私だったから、そしてそれがきっかけで彼がカメラを手にするようになったからか、気安かったのだと思う。



Twitterで空の写真をUPところ、意外と評判が良かったので継続。 徐々に写真に興味を示すようになって、スナップ写真にハマり、Sonyのa6000を購入。以後九州テレビの特派員をしつつ、現在に至る。

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