エイプリルフールで嘘のような、本当のはなし。

 

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4月1日、世間ではエイプリルフールといって、嘘をついてもいい日とされている。

もっとも私のような、嘘をつくことがへたくそな人間に余り関わることではないだろう。

そう思いながら車の助手席から何となく外の風景を見ていると、馬が歩道を歩いていた。今、このご時世に。

思わず、車を近くの駐車場に止めてもらって、馬のそばに駆け寄ってカメラを構えて何枚か撮影した。騎乗のご老人は苦笑していた。

我に返って頭を下げて、謝罪の後、撮影の許可をもらって念のため聞いてみた。

「馬ですよね?」と。

すると、ご老人は「ロボットだよ、ははは」と答えた。

嘘なのか本当なのか。私にはよくわからないが馬らしき生命体の目は確かに生きていた。

 

小倉を歩く。Part3: 年末はモノクローム

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年末はモノクローム。何とも奇妙な言葉だけれども、ある意味本質的だなと思う。
モノクロームこそが光の芸術たる云々という話ではない。生と死が年末年始ほど濃密に混ざり合う機会も少ないという話だ。
お盆はどうなんだと言われると、今は忙しい時代だから個人的には昔ほどそういったものは感じない。タワーマンションにお寺が入居する時代だからね。

ともかくとして、年末年始は普段集う機会のない家族もおおよそ団欒を過ごし、目に見えない世界もなんとなしに近づいている…ような気がする。
だから年末はモノクローム。できれば年始も。今回の写真たちはみなモノクロームです。
いつもは写真一つごとにコメントらしきものを添えますが今回は無しです。写真をじっくりと一枚一枚見てください。
なにか普段は見えないものも見えてくるかもしれません。

 

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Lost In Life

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私たちは何かを失いながら生きている。
得ることもあるが、いずれは無くなる。はたしてそこに意義はあるのだろうか?
そうした不安よりも深く、沈黙の傍らに、憎しみよりも激しく燃える炎があることに私はある日、気づいた。

 

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それの名前を私は知らない。思えば、それに突き動かされて生きてきたような気がする。
それが良いことなのか、悪いことなのかに答えはないだろう。定義できないのだから。

 

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雨の降る中、ふと空を見上げる。吹き荒れる風で枯葉が散っている。

 

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枯葉は土に還ることもできず、可燃ごみとして捨てられるだろう。

 

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「Lost In Life」 単純に訳せば、失われた命。
そこに宿るもの、来し方行く末、より根源的な何か。
暫くの間、「Lost In Life」を表題に探究しようと思う。